こんばんは、KIMURANOKIのグッズの事を考えるとワクワクして、ついには金太郎飴を作ってやろうかと本気で考えてしまっている木村です。
さて、皆さんからご支援頂いたクラウドファンディングのリターン品も残すところ3名となり、全て削り終え、乾燥、仕上げ待ちとなりました。
そして皆さんの支援のおかげで購入出来たジャンべを作る為の道具で(これについては前の記事に書いてます)いよいよ本格的にジャンべ作りを開始しました!
思えばここまでの道のりは長かった。
あっ、ちょっと回想入りま~す。笑
お付き合い下さい。
島で初めてジャンべを作ったのは、7年位前だろうか?(はっきり覚えてない)
タマナの木をチェーンソーでおっかなビックリ削って、チョウナというノミの一種の道具で、ひたすら硬い木を手で掘って掘りまくった。
ネットで少ない情報を拾い集めて、なんとか、かんとか小さな太鼓を完成させた。
その時、達成感と共に身をもって感じた事は、こりゃ何個も作れないって事だった。めちゃくちゃハードだった。
なんとか完成した小さなジャンべを持って、アフリカに行って、ジャンべ作りの基本を学びに行こうと思った。
ちょうどその時、まさに行こうとしていた場所でエボラ出血熱が流行ってしまい、それでもいこうか真剣に考えた。
結果やめた。
気が気じゃない家族や仲間を思うと、今じゃないと思った。自分一人の問題じゃないと思った。
本気で行こうと思ってたもんだから、一度会社もやめていた。時間はあったので、鹿児島の三島村という所にジャンべの学校があることを知り、そこに行けば作り方を学べるかもしれないと思い向かった。
しかし、またそこにもたどり着かなかった。
鹿児島まで行って、三島村に行く為にフェリー乗り場のすぐ目の前のゲストハウスに滞在していた。
調べたら、まあまあ近くにジャンべ屋さんがあった。ゲストハウスでチャリンコを借りて、ひたすらに1時間位きつい登り坂もあり、汗だくでお店についた。
誰もいない。
ネットで見ると営業中。
しょうがないから電話する。
「今からいくね~!」
これが鹿児島一陽気なジャンべ屋さんとの出会いだった。
それからというもの、お店に住み込みでジャンべの皮張りを教えて貰った。半分はサーフィン。笑
遊ぶように仕事をして、仕事をするようで遊んでた。
こんなライフスタイルがあるんだと、衝撃を受けた。
最高の鹿児島生活だった。
それから、時間は経ってジャンべの皮張りは覚えたけど、木を削る技術を身につけていなかった。
アフリカの人達は分業で手掘りで作っている。
一度チェーンソーとチョウナで作った経験から、そのスタイルで自分が継続的に作っていける自信はなかった。
木工旋盤を勉強しよう。
そう決めたのは今から4年程前。(これもはっきり覚えてない。基本、記憶喪失 笑)
埼玉の教室でジャンべを作りたいと、先生も作った事もないのに、持って行ってお願いした。
先生は木工旋盤では一流な方で、快く受け入れてくれた。
いざ作ってみると、正直めちゃくちゃ怖かった。
えらいもんに手をだしてしまったと思った。
でも少しずつコツをつかんで、楽しくなっていった。
必要な道具や工房、色々と足りないものが分かった。
だから、島に帰ってきて工房を作った。
仕事をしながらで、時間がかかった。
一年かかった。
その後も色々あってもう一年かかった。
工房のドアを作ったり、床をはったりしながらも、ジャンべを削って、皮張りをしている自分はちゃんとイメージできた。
いつか全てが繋がる。そう言い聞かせてた。
そして今日イメージしてた景色がようやく形に見えた。
前おきが長すぎる。
つまり今日はジャンべを、この島で、島のヒメツバキで、木工旋盤で初めて作りましたー!
これを旋盤にセットして、
少しずつ削っていきます。
真剣な眼差し。
後ろからもどうぞ。
本番はこっからよ。中を掘る。
本気と書いてマジとはこの顔。
ひっくり返して、さらに掘る、掘る。
貫通!
ジャジャーン、完成!どうよ?まぶいっしょ?
初めにしては上出来っしょ!?
とりあえず、実際はかなり苦戦しましたが、なんとか出来てほっとしました。
これも、応援してくれる皆さんのおかげです。
次はちゃんと太鼓として完成した姿をお伝えしますね。
太鼓と器KIMURANOKI。
まだまだスタートしたばかりですが、これからの活躍をご期待下さいませ。
作った作品は随時インスタにアップしてます。
こちらもよろしくお願いします。https://www.instagram.com/kimura_noki/
こんな夜はジャパンで乾杯